丈夫で硬い金属・チタン

1890~1910年の20年間で、世界のアルミニウム精錬工場は8か国22工場となり、生産量は1910年には3万トンを超えました。

チタンは、1910年、アメリカのM・A・ハンターが取り出すことに成功、その後、同じアメリカのW・J・クロールが1936年、四塩化チタンをマグネシウムで還元する方法ではじめて工業的に金属チタンを製造し、1948年に工業生産を開始しました。

1960年代に入ると、チタン合金は航空機用ジェットエンジンなどに、大量に使われるようになり、ボーイング787では、一機あたり総重量の約15パーセントを占めます。

ロートアイアンは腐食に強い、美しいゲートです。

子どもの教育問題 2

子どもの割った窓ガラスを親が弁償するのは、親の監督が不行き届きで・・・
子どものしでかした不始末の責任をとるということで(民法第714条第1項)、べつにふしぎはありません。
・・・ただし場所が学校となると、Kさんのような疑問もでてきます。
子どもが誤って割った窓ガラスの修理費ぐらいは、学校で負担するのが普通でしょう。
いきなり請求書を送りつけるというのは乱暴です。
これまでの例をみても、校内暴力で窓ガラスを何十枚もたたき割るといった悪質なものでなければ、親に弁償まで求めることはまずなかったのです。
数日して、Kさんから続報が入りました。
「いや、あれは先生のお芝居でした。
息子があまり腕白で、学級のきまりを守らないのでお灸をすえたのだそうです。代金はそのまま返ってきました。
私もすっかり乗せられて。それにしても先生もいろいろ大変ですね。」

子どもの教育問題

雨が続くと、元気な男の子は教室の中でからだをもてあますもの。
休み時間についついドタバタ始めているうちに、窓ガラスを一枚割ってしまいました。
幸い、だれもけがはしませんでしたが、割れたガラスは元に戻りません。
ドタバタ騒ぎの張本人と目された腕白なKさんのに男坊に、弁償のお鉢が回ったということのようです。
窓ガラスの弁償ぐらいたいしたことはないのですが・・・
大勢の子どもを預かっている学校なら、窓ガラスの1枚や2枚、ときに割れることのあるのは当たり前で、そのぐらいは初めから勘定に入れておくべきで、いちいち親が弁償するというのはおかしくはないか、というのがKさんの疑問です。

子どもの健康診断 2

小学校6年生の身長は、男子で50年前の昭和8(1933)年にくらべて11・5センチ、女子では13・1センチも伸びて、身長、体重、胸囲とも当時の中等学校2年生なみになりました(昭和58年度)。
身長や体重の増加に一喜一憂するのは親心ですが・・・
あわせてムシ歯や近視の予防にも十分気をつけましょう。
小学生でムシ歯のある者は92・6%、近視は小学生の18・2%から中学生ではほぼ倍増して35・5%になります。
子どもが教室の窓ガラスを割ったら子どもの割った窓ガラスを親が弁償するのにふしぎはないのですが・・・
大勢の子どもを預っている学校なら、窓ガラスが、ときに割れることのあるのは当たり前で、いちいち親に弁償させるのはおかしくないでしょうか。
「子どもが休み時間に教室でふざけていて、窓ガラスを割りましてね。
先生から請求書がきました。
早速、代金をもたせてやりましましたが、あとから考えてみると、少しおかしな気もするのですが、どんなものでしょう。」
・・・腕白な男の子を小学校に通わせているKさんの話です。

子どもの健康診断

年配の父母にとっては、健康診断よりも身体検査といったほうが、わかりが早いかもしれません。
日本で、全国の学校で毎年定期的に身体検査を行うようになったのは、明治33(1900)年に、「学生生徒身体検査規定」が公布されてからです。
当時、生徒の間に多かった近視と脊柱わん曲が、就学忌避運動の口実に利用されるのをおそれて、それらの早期発見と予防に役立たせるのが、直接のねらいだったといわれています。
昭和33(1958)年に「学校保健法」が制定されたのを機会に、約60年間なじんできた身体検査が健康診断に改められました。
これは事後措置を重視し、また単なる検査に終わるのではなく、健康状態を診断するというニュアンスを強調したものです。
昭和48(1973)年からは、検査項目に心疾患と尿の検査が加えられました。
健康診断の結果は、文部省でとりまとめて発表します。

物理的密着と心理的遮断 4

物理的には相互に密着しながら、心理的にはとなりの人間を意識のなかから遮断する能力をわたしたち日本人はわかちあっているらしいのです。
近年ではそうした傾向に拍車をかけるものとして、ウォークマンのようなものも登場しました。
電車内でもしばしばこの小型音楽再生装置をポケットにいれ、イヤホンを耳にあてそれぞれに好みの音楽に没入している若者たちのすがたは珍しくはありません。
・・・いえ、若者たちだけではありません。
年配者のなかにもイヤホンを耳にさしこんで、ラジオをきいたり音楽を鑑賞したりしている人が現代日本の日常生活のごくふつうの情景になったのです。
つまり、満員電車内での読書といい、あるいはイヤホンをつけての音楽鑑賞といい・・・
それらは物理的な混雑のなかでなおかつ心理的には完全に外界からみずからを遮断する手段なのです。

物理的密着と心理的遮断 3

パチンコ屋とおなじような風景は、たとえば大都市近郊のラッシュ時の通勤電車のなかでも見うけることができます。
最近ではかなり事情は緩和されているとはいえ、郊外私鉄や地下鉄の週日の朝8時半ごろの電車に乗ると、車内の人口密度は文字どおり殺人的ですね。
サラリーマンたちはまるで缶詰のなかに行儀よくならんだイワシのようにびっしりと体をよせあって、じっとがまんしながら何十分間かの通勤輸送に堪えぬいています。
しかし、それだけ身体と身体とが接触し密着していても、これらの通勤者たちはすぐとなりにいる人間の存在をほとんど無視しているのがその特徴なのです。
さいわいにして座席にすわることのできた人はスポーツ新聞をひろげたり、週刊誌を読んだりしています。
・・・吊革にぶらさがっている人たちのなかにも小型の文庫本などに目をさらしている人がいます。

物理的密着と心理的遮断 2

タバコの煙と人いきれで息がつまるほどのパチンコ屋のなかで、わたしたちはひとことも苦情をいわず・・・
黙々と玉をはじきつづけるのです。
いやそれどころか、そうした高密度空間をわたしたち日本人は多かれ少なかれ楽しんでいるようなのです。
そうしたムンムンした雰囲気がないかぎり、パチンコをしているという気分にはなれないのです。
しかも、こうした状況のなかにあって、不思議なことにわたしたちはわずか10センチをへだてた隣人の存在を意識していないようなのです。
パチンコ台の前に座ったひとりの人間は、ほとんど他者の存在を意識することなく、もっぱらみずからの前にある一台のパチンコの盤面上をめまぐるしく回転する玉の流れに精神を集中し・・・
そして、完全にそのゲームのなかに自らを没入させてしまっているのです。

物理的密着と心理的遮断

パチンコというのは時間と空間の極限的利用によって成立している娯楽です。
ゲームをするための空間は最小限にまで縮小され、その空間のなかで人びとはパチンコの玉をはじきつづけるのです。
じじつ、こうしたパチンコ台の前に座っていると、となりに座っている人とのあいだの間隔は極限にまできりつめられているもの。
ですから、身体と身体とのあいだにはわずか10センチほどの空間がのこされているにすぎません。
とりわけ冬の寒い日など、客の多くは厚手のジャンパーだのコートだのを着ているから、うっかりするととなりの人とからだが接触することもしばしばなのです。
繁盛している店のばあいなど、ときによっては身動きできない状態になることもあります。
・・・こうした高密度の空間でのゲームはかならずしも愉快な経験ではありません。

パチンコ屋の空間 4

時間と空間というのは人間の生活を計測するうえでの基本的な2つの軸です。
パチンコというゲームはこの時間と空間という2つの変数を極限まで微分化し・・・
あるいは、そのスキ間を極限まで開発したおどろくべき発明品といわなければなりません。
人類はさまざまなゲームをつくり、さまざまな余暇活動を開発しました。
しかし、最小面積のなかで、また最小の時間のなかで、楽しむことのできるゲ:ムとしてパチンコに匹敵するものは、古今東西をつうじてパチンコ以外にはなかったのではないか、とわたしはかんがえます。
べつなことばでいうならば、時間と空間という生活の基本軸に散在する、もろもろのスキ間を、おどろくべき知恵と技術によって再開発したのがパチンコというもの。
そこにもまた、わたしとしては日本文化のもつ偉大な発明力をかんじないわけにはゆかないのです。

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