デジタル式計算機の完成

1939年、スティビッツは電話の交換技術者ウィリアムズの協力で複素数計算機すなわちリレー式補間演算機を完成し、これは後にベル研究所の”モデルⅠ”リレー・コンピュータとして世に知られるようになる。

これの機能は基本的な四則演算に限られていた。

電気と機械による計算方法に関して、ハーバード大学大学院生ハワード・エイキンは新しい概念を思いつく。

担当教授の紹介でIBM社の技術チームと協力してつくられたのが最初の自動汎用デジタル計算機で、1944年のことである。

これがバベッジが苦労を重ねながらも完成できなかった解析機関とほぼ同じ構想の”MARKⅠ”だ。

機械式の限界とデジタル式の登場

イギリスのジョージ・プールは1848年に『論理の数学的解析」を著わし、1854年には『論理と確率の数学的理論の基礎をなす思考法則の研究』という大著を発表する。

これが、現代のコンピュータの基本である二進法の研究であった。

十九世紀末から二十世紀初頭にかけて、計算機にはさまざまな改良が加えられたが、歯車を利用した機械的なアナログ方式では避けられない精度の低さが、次第に目立つようになっていった。

アメリカのスティビッツは、不要になった電話用のリレーを自宅に持ち帰り、1937年に最初の電気的な回路をつくった。

その後、彼は勤務していたベル研究所でリレー式コンピュータの設計に全力を注いだ。

いつの時代も天才の傍には天才がいる

「怒りっぽい天才」といわれたバベッジのよき理解者がエイダであった。

彼女は情熱の詩人バイロン卿と妻アナベラのひとり娘で、15歳のときにはすでに抜群の数学的才能を発揮し、バベッジの解析機関を見学している。

彼女は、このときに解析機関の機能を理解し、いかに素晴らしい発明をしようとしているかを認めている。

エイダは27歳のときに、バベッジの解析機関についての解説を書いている。

母親の数学的才能と父親の美しい文体を受け継いだものといわれ、彼女の努力のおかげでバベッジの研究がわかりやすくなった。

バベッジが時代を越えた解析機関を構想した背景には、時代の要請とライプニッツ以降の数学の発展があった。

早く生まれすぎた天才がいた

バベッジの計算機はまず、演算の対象となるすべての変数とほかの演算結果で得られたすべての数値を蓄える貯蔵部がある。

そして、演算するための数値をつねに送り込む作業部があり、この処理には演算の種類を指示する演算力ードと、演算の対象となる特定の変数を指示する変数カードの2種のカードを必要とする。

バベッジがこれらの機械を機関と名付けたのは1765年にジェームス・ワットが実用化した蒸気機関が念頭にあったにちがいない。

現代のコンピュータのように、蒸気機関があの時代の夢を託されたものであったからだ。

バベッジは時代よりもいささか早く生まれすぎたのだ。

初期のコンピュータは歯車仕掛け

計算機の歴史には異端の天才も登場する。

イギリスのかなり豊かな中産階級出身の「怒りっぽい天才」といわれたチャールズ・バベッジである。

彼は1822年に階差機関の構想を発表する。

翌年から政府の資金援助を得て製作を開始するが、6桁までの数値を取り扱えるヒナ型を組み立てた1833年に中断する。

この後を受けたのがスウェーデンのシュウツで、1854年に完成し、ロンドンで公開する。

これは4個の階差と14桁の数字を取り扱い、しかも計算した数表を印書できるようになっていた。

もちろん、歯車で動く。

さて、バベッジである。

1833年に階差機関の製作を中断した彼は、解析機関の研究を1871年に亡くなるまで続けることになる。

これは汎用性を備えた計算機で、後にハーバード大学とIBM社が共同開発した”MARKⅠ”という機械にきわめて近い考え方を採用し、現代のコンピュータの原型ともいえる。

コンピュータのための歯車

ドイツのテュービン大学の天文学、数学、ヘブライ語の教授であるウィルヘルム・シカルトが1623年9月20日付で天文学者のヨハネス・ケプラーへあてた手紙には、加減算を完全自動、乗除算も部分的に自動的に行なえる機械の概要とその説明が書かれているという。

この機械はドイツを舞台にヨーロッパ諸国を巻き込んだ30年戦争のために現存せず、しかもシカルトの一族はこの戦争で流行したペストのために亡くなっている。

パスカルの加算機は、シカルトのもののように乗除算といった非線型の演算ができないという点では遅れたものであった。

乗除算が完全にできる計算機は、ゴットフリート・ウィルヘルム・ライプニッツが1673年に発明する。

この機械は、パスカルの加算機と同じ機構をもつ加減算を行なう部分と、乗除算を行なう部分の2つが結合されていた。

彼はこの機械を動かすために「ライプニッツの歯車」と呼ばれる有名な歯車を発明している。

ライプニッツの計算機に対する功績は、計算作業の自動化の必要性と可能性について考えて、計数型の計算機をつくり、さらに仮説を検証するために計算機が使えるという着想をもっていたことである。

丈夫で硬い金属・チタン

1890~1910年の20年間で、世界のアルミニウム精錬工場は8か国22工場となり、生産量は1910年には3万トンを超えました。

チタンは、1910年、アメリカのM・A・ハンターが取り出すことに成功、その後、同じアメリカのW・J・クロールが1936年、四塩化チタンをマグネシウムで還元する方法ではじめて工業的に金属チタンを製造し、1948年に工業生産を開始しました。

1960年代に入ると、チタン合金は航空機用ジェットエンジンなどに、大量に使われるようになり、ボーイング787では、一機あたり総重量の約15パーセントを占めます。

ロートアイアンは腐食に強い、美しいゲートです。

子どもの教育問題 2

子どもの割った窓ガラスを親が弁償するのは、親の監督が不行き届きで・・・
子どものしでかした不始末の責任をとるということで(民法第714条第1項)、べつにふしぎはありません。
・・・ただし場所が学校となると、Kさんのような疑問もでてきます。
子どもが誤って割った窓ガラスの修理費ぐらいは、学校で負担するのが普通でしょう。
いきなり請求書を送りつけるというのは乱暴です。
これまでの例をみても、校内暴力で窓ガラスを何十枚もたたき割るといった悪質なものでなければ、親に弁償まで求めることはまずなかったのです。
数日して、Kさんから続報が入りました。
「いや、あれは先生のお芝居でした。
息子があまり腕白で、学級のきまりを守らないのでお灸をすえたのだそうです。代金はそのまま返ってきました。
私もすっかり乗せられて。それにしても先生もいろいろ大変ですね。」

子どもの教育問題

雨が続くと、元気な男の子は教室の中でからだをもてあますもの。
休み時間についついドタバタ始めているうちに、窓ガラスを一枚割ってしまいました。
幸い、だれもけがはしませんでしたが、割れたガラスは元に戻りません。
ドタバタ騒ぎの張本人と目された腕白なKさんのに男坊に、弁償のお鉢が回ったということのようです。
窓ガラスの弁償ぐらいたいしたことはないのですが・・・
大勢の子どもを預かっている学校なら、窓ガラスの1枚や2枚、ときに割れることのあるのは当たり前で、そのぐらいは初めから勘定に入れておくべきで、いちいち親が弁償するというのはおかしくはないか、というのがKさんの疑問です。

子どもの健康診断 2

小学校6年生の身長は、男子で50年前の昭和8(1933)年にくらべて11・5センチ、女子では13・1センチも伸びて、身長、体重、胸囲とも当時の中等学校2年生なみになりました(昭和58年度)。
身長や体重の増加に一喜一憂するのは親心ですが・・・
あわせてムシ歯や近視の予防にも十分気をつけましょう。
小学生でムシ歯のある者は92・6%、近視は小学生の18・2%から中学生ではほぼ倍増して35・5%になります。
子どもが教室の窓ガラスを割ったら子どもの割った窓ガラスを親が弁償するのにふしぎはないのですが・・・
大勢の子どもを預っている学校なら、窓ガラスが、ときに割れることのあるのは当たり前で、いちいち親に弁償させるのはおかしくないでしょうか。
「子どもが休み時間に教室でふざけていて、窓ガラスを割りましてね。
先生から請求書がきました。
早速、代金をもたせてやりましましたが、あとから考えてみると、少しおかしな気もするのですが、どんなものでしょう。」
・・・腕白な男の子を小学校に通わせているKさんの話です。

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